1957 | 2月9日 ブラジル・リオデジャネイロから山側に70-80キロほど入る、メンデスという小さな町で、父フーベン・ゴンサウヴェス・ハモスと母マリア・エジナ・ビントハモスの間に生まれる。兄弟は上から兄、姉、姉、ラモス、妹の5人兄弟の4番目。税理士の父は、周囲からも尊敬を集める真面目な紳士。その大好きな父にラモスはサッカーを教わる。 |
---|---|
1969 | 4月 父フーベンの突然の死。この時、ラモス12才。 |
1970 | 2月 母マリア・エジナの兄弟の住むサンパウロに移住。その後中学に進学する。ラモス、高校2年の18才になるころには、サッカー狂いと言われるほどサッカーに熱中する。その後プロチーム「サアジFC」に入団。 |
1977 | 1月 当時、読売サッカークラブの選手、ジョージ与那城は、選手スカウトのためサンパウロに帰省。ラモスの兄、ビンバ(愛称)を通して日本行きの話を持ちかける。はじめは家計を助けるためという理由で、反対する母マリア・エジナをおしきり契約書にサインする。 4月29日 日本来日。ラモス20才。 同年10月10日の公式戦デビューでは、「ブラジルの草サッカーよりひどい」というのがラモスの感想。 10月 公式戦デビュー |
1978 | 1月14日 西が丘サッカー場でのvs日産(現横浜マリノス)戦でレッドカードが出され、1年間の出場停止処分になる。 |
1979 | 4月1日 vs古河(現ジェフユナイテッド市原)戦で復帰第一戦を果たす。このシーズンのラモスは、15試合で14得点をマーク、アシストも7を記録し、得点王とアシスト王に輝く。 |
1980 | 10月 当時21才になったばかりの初音との運命的な出会いを迎える。この時ラモス、23才。 |
1981 | 8月 交通事故のため、ラモス、左足の臑を複雑骨折。サッカー選手としての生命の危機に直面するが、恋人・初音の献身的な看病も手伝って、同年11月退院。 |
1984 | 2月 ラモス27才、初音24才、カーニバルにあわせ、初音をつれてブラジルに帰省し、結婚式を挙げる。 6月30日 四谷のセントイグナチオ教会で挙式。 |
1985 | 長男ファビアノ誕生。 |
1988 | 3月 帰化申請 長女ファビアナ誕生。 |
1989 | 11月22日 帰化。帰化申請から15ヶ月かかる。 |
1990 | 北京アジア大会で代表戦デビュー |
1996 | 5月 ヴェルディ川崎から京都パープルサンガに移籍。 |
1997 | 8月 京都パープルサンガからヴェルディ川崎に移籍。 |
1998 | 11月14日 柏戦をラストゲームとし、現役引退。 |
1999 | 8月23日 国立競技場にて引退試合。 |
2000 | 9月4日 ブラジル大使館より「リオ・ブランコ勲章」受勲。 |
2004 | 公認S級コーチ資格を取得。 |
2005 | ビーチサッカー日本代表の監督に就任、ビーチサッカーワールドカップにおいて日本を4位に導く。 柏レイソルのコーチに就任。 |
2006 | 東京ヴェルディ1969の監督に就任。 |
2007 | 東京ヴェルディ1969をJ1に復帰させ、監督を勇退。 |
2008 | 東京ヴェルディ1969の常務取締役・エグゼクティブディレクターに就任。 |
2009 | ビーチサッカー日本代表監督に就任。 |