2013 年 5 月 のアーカイブ

親と子の「才能発掘塾」/ラモス瑠偉 サッカー塾のお知らせ

2013 年 5 月 24 日 金曜日

今年の夏休み、ラモス瑠偉が講師となって、子供たちに「夢」について熱く語ります。

親と子の「才能発掘塾」は、日本の未来を担う子どもたちのために、各界の第一線で活躍する方をお招きし、子供たちの可能性や夢を大きく育むことをサポートする特別授業です。 クラブ・コンシェルジュと日経CNBC がアウディジャパン株式会社の特別協賛を得て開催いたします。

開催日:2013年8月3日(土)
時間:14:00~16:00
会場:アウディ フォーラム東京

詳しい内容と申し込みは、主催される2社のウェブサイトをご利用ください。
クラブコンシェルズウエブサイト
日経CNBCウェブサイト

ラモスプロジェクトディレクター 角田壮監

ラモス瑠偉 マネジメントについて

2013 年 5 月 19 日 日曜日

有限会社カリオカ・スポーツ・プロモーション(代表取締役 ラモス ファビアノラモス)が唯一のマネジメントカンパニーです。

一部、業務提携、業務委託をしているパートナープロダクションがございますので、今後、本ウェブサイトでご紹介をさせていただきます。
「ラモス瑠偉との業務提携」や「ラモス瑠偉のマネジメント」と紹介されているプロダクションがございますが、CM,テレビ出演、講演会など各種ご依頼は、当社に直接お問い合わせください。
IMGP1861-150x150[1]
ラモス瑠偉に関する各種依頼は
有限会社カリオカ・スポーツ・プロモーション
(所在地:東京都港区南青山)
ラモス瑠偉マネジメント担当


カリオカ・スポーツ・プロモーションでは、ラモス瑠偉のマネジメント以外にも、これまでのラモス瑠偉のマネジメント実績を活かし、企業、団体にスポーツが持つ有益な効果を活用した活動をご提案いたします。

 Jリーグの基礎である日本サッカーリーグ27年間

2013 年 5 月 16 日 木曜日

昨日は、Jリーグの誕生日。20周年を迎えたことで、テレビや新聞でJリーグのこれまでのことや、今後について取り上げられていました。

ラモスさんは、Jリーグの20年を振り返ると同時に、日本サッカーリーグの1965年から1992年の27年間の大切さを感じています。そこで、スタッフは、Jリーグの基礎となった日本サッカーリーグを「日本サッカーリーグ全史」で振り返りました。

日本サッカーは、1965年に発足し、日本でのアマチュア・スポーツとしては初めての全国リーグであったり、大学チームから企業スポーツに移り変わりつつある時代に企業(実業団)が主体となる中、読売クラブのようなクラブも受け入れていたり、1980年代にはアマチュア選手以外の登録を認めるなど、日本スポーツ界の画期的な取り組みを行ってきた歴史があります。

「日本サッカーリーグ全史」を読めば、読むほど日本サッカーリーグ27年間の上に、日本プロサッカーリーグがあるのだと知ることができます。

ラモスさんは、日本サッカーリーグをプレイで盛り上げた人たちを懐かしみながら話をしてくれました。メモを片手に、ラモスさんの話を聞き、選手の名前をひたすら書き続けたスタッフです。

釜本邦茂さん、杉山隆一さん、落合弘さん、永井良和さん、奥寺康彦さん、古前田充さん、前田秀樹さん、吉田弘さん、ネルソン吉村(吉村大志郎)さん、セルジオ越後さん、セイハン比嘉さん、アデマールマリーニョさん、ジョージ与那城さん、碓井博行さん、西野朗さん、久米一正さん、柱谷幸一さん、木村和司さん、金田喜稔さん、オスカーさん、レナトさん、柱谷哲二さん、水沼貴史さん、原博実さん、岡田武史さん、長澤和明さん、吉田光範さん、永島昭浩さん、松木安太郎さん、戸塚哲也さん、都並敏史さん、加藤久さん、武田修宏さん。(順不同)

時間の都合もあって、話が途中になってしまいましたが、ラモスさんはもっとたくさんの方の話をしたかったのだと感じたスタッフです。

前述の「日本サッカーリーグ全史」の発行者は、木之本興三さん(日本サッカーリーグ第8代総務主事)です。編集後記には、「27年間を築いてこられた諸先輩の業績を残すことは、新たな時代への橋渡しの時期にかかわった者としての義務」と記述されています。

ラモスさんは、私たちにこの義務の大切さを伝えているのだと感じたスタッフです。

ラモスさんは、ピッチを盛り上げた選手同様、長沼健JFA名誉会長や、川淵三郎Jリーグ初代チェアマン(日本サッカーリーグ第7代総務主事)、木之本興三Jリーグ初代理事(日本サッカーリーグ第8代総務主事)、森 健兒Jリーグ初代専務理事(日本サッカーリーグ第6代総務主事)をはじめ、日本サッカーリーグ、日本プロサッカーリーグにかかわられた方々、協賛企業、Jクラブを受け入れた地域、サポーターなどへの感謝の気持ちを忘れてはいけないと話してくれました。

Jリーグは、日本サッカーの全国リーグ「日本サッカーリーグ27年間」の基礎の上にあるものだと、ラモスさんから学んだスタッフです。
(ラモスプロジェクトディレクター 角田)

ラモス瑠偉 祝辞

2013 年 5 月 15 日 水曜日

Jリーグ20周年、おめでとうございます。

1993年5月15日の国立競技場での開幕戦。
満員の国立、本当に嬉しく、そして誇らしい気持ちでいっぱいでした。

1980年代中盤から日本サッカーリーグを牽引した読売クラブと日産自動車。
Jリーグで名前をヴェルディ、マリノスと変更しましたが、お互いがこれまでの歴史や、伝統を背負ってプレイしました。
そして、これから始まる新しい歴史を作ることの責任も感じていました。

この日を迎えられたのは、釜本さん、杉山さんといった先輩たちが日本サッカーを引っ張ってくれたからだと感じています。
日本サッカーの厳しい時代にプレイされていた皆さんの努力がなければ、そして、プロリーグを立ち上げるためにご尽力された川淵三郎初代チェアマンはじめとする方々の勇気ある行動なしには、この日を迎えることはできなったでしょう。

初年度は、週2回の試合でした。35歳の私には、本当にハードなスケジュールでした。
しかし、たくさんの方の前でプレイできる喜びは、それを超えるものでした。
みなさんの声援、歓声が、私の魂に力をくれていたのは間違いありません。

Jリーグは、設立当時から100年後を見据えて歩き始めました。
「Jリーグ百年構想」です。
20周年という節目を迎え、私たちは、もう一度原点を振り返る必要があるかもしれません。

日本代表は世界的にも注目されるほど急速な成長をしました。
選手の社会的地位が高まりました。
スポーツが地域主導の活動になりました。
ピッチの環境が素晴らしい芝生になりました。
その原動力になったのはJリーグ。

Jリーグがあることの喜び。
Jリーグがあることの誇り。
Jリーグがあることの可能性。

日本サッカーが、さらなる発展をするためには、これまで以上にJリーグを魅力的なものにすることが重要です。
選手の素晴らしいプレイ。
グッドマナーで、熱狂的なサポーター。
地域、企業、クラブの連携した取り組み。
20年間築いてきたものを守りつつ、30周年に向けてキックオフ!
チェアマンの声が聞こえてきそうです。

日本サッカーが目指す目標は、まだ先にあります。
20周年をお祝いすると同時に、目標に向かって歩き出しましょう。

Jリーグ20周年、本当におめでとうございます。

ラモス瑠偉

ラモス瑠偉 メディア出演(産経新聞)

2013 年 5 月 13 日 月曜日

1993年5月15日。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が誕生。

今年で20周年。
選手のレベルだけでなく、サッカーを取り巻く環境が「国際基準」になりました。

ラモス瑠偉は1993年5月15日の夢の舞台に立つことができたことについて、先人への感謝の気持ちを話します。
今日から5日間の連載です。

産経新聞公式ウェブサイト

ラモスプロジェクトディレクター 角田壮監

ラモス瑠偉 アナザースカイ(NTV)

2013 年 5 月 12 日 日曜日

これまで、皆様にお見せしていなかったラモス瑠偉の素顔と、ブラジルの素晴らしいビーチと熱狂的なカーニバル、故郷メンデスでは、日本の古き良き雰囲気に似た穏やかさや、温かい雰囲気が伝わってきました。今年のお盆には、田舎に行ってお墓参りをしようと思われた方もいらっしゃったでしょう。アナザースカイの制作スタッフの皆様のご尽力に感謝をするスタッフです。

実兄のビンバさんも、映し出されていましたね。
日本で親しくされた方は、懐かしく感じられたと思います。

Jリーグ20周年を迎え、日本サッカーに多大なる貢献をしてくれたブラジル。
今日の日本サッカーの世界的な活躍は、1977年のラモス瑠偉の来日以降、日本サッカーリーグ時代では、オスカーさん(日産:当時では驚きの現役ブラジル代表選手)が来日。Jリーグが設立されることになりジーコさん、レオナルドさん、ジョルジーニョさん(鹿島)、カレッカさん(柏)、ビスマルク(ヴェルディ川崎)、ドゥンガさん(磐田)、ジーニョさん、サンパイオさん(横浜フリューゲルス)など世界的に活躍されたブラジル選手の協力によって実現できたのだと感じるスタッフです。

日本サッカーの発展にご尽力されたブラジル人プレイヤーの存在が大きかったのは言うまでもありません。また、日本にプロフェッショナルを植え付けたのはブラジル人選手と、ジノ サニさん(読売)のような素晴らしい指導者の献身的な指導であったと思われます。

来日されたブラジル人選手たちから日本とブラジルの架け橋になっているのは、1977年から日本サッカーを牽引してきたラモス瑠偉の存在があったからだと話を聞くことがありました。
「ラモスさんの日本での活躍がなければ、私たちが日本でプレーすることはなかっただろう。」(元セレッソ大阪 ジルマール<GK94W杯ブラジル代表>)

当時、このような話を聞きながら、ラモス瑠偉の偉大さを感じました。

今年のコンフェデレーションズカップ、来年のワールドカップ、2016年リオ オリンピック。
日本がブラジルに恩返しする最良の機会です。

ブラジルのピッチに日本代表が立った時
「ありがとう!ブラジル!!」と心から叫ぼうと思うスタッフです。

ラモスプロジェクトディレクター 角田壮監

NTVアナザースカイ「ラモス瑠偉 ブラジル・リオデジャネイロ」

ラモス瑠偉流 リーダーシップ論

2013 年 5 月 11 日 土曜日

ラモス瑠偉は、読売クラブ、ヴェルディ川崎、日本代表の司令塔として活躍しました。

司令塔(ゲームメーカー)は、ピッチにおいて、相手チームの戦略や戦術をプレイをしながら観察、ゲームの流れを察知し、攻守にわたりゲームをコントロールします。ストライカー、チャンスメーカーという役割は、活躍が数字に表れやすいのですが、司令塔(ゲームメーカー)は専門的な知識や、視点がないとその評価は高まりにくい存在かもしれません。

ラモス瑠偉は、現役選手を引退後、Jリーガーとして初となるJクラブ経営者(東京ヴェルディ常務取締役)も務めました。そのような出来事を振り返ると、一流の司令塔(ゲームメーカー)には、サッカー的な能力以外に、組織を統括するマネジメント能力や、組織を牽引するリーダーシップも必要だと考えるスタッフです。

ラモス瑠偉は「講演会」や「取材」で、これまでの経験から学んだ独自のリーダーシップ論について話をしてきました。

ブラジルから帰化して20年を迎えた2009年。
ラモス瑠偉のリーダーシップ論を「bizocean」で取り上げていただきました。
司令塔は、サッカーだけでなく、会社の部署の責任者や、プロジェクトリーダーも同じ役割ということだという考えから、サッカーのみならず、企業、事業を営む方にも役立つヒントがあるかもしれません。

そのようなラモス瑠偉のマネジメント能力、リーダーシップに注目してくださった株式会社ミロク情報サービス(MJS)では、イメージキャラクターとして活用していただいています。
(ラモスプロジェクトディレクター 角田)

株式会社ミロク情報サービス(MJS)

bizocean「ラモス瑠偉流リーダーシップ論」

ラモス瑠偉 カーコンビニ倶楽部の取り組み

2013 年 5 月 11 日 土曜日

ラモス瑠偉は、「子どもたち夢を応援」したいと考えています。
夢は、生きる力になります。夢は、希望です。

子どもたちは、日々の暮らしの中で、希望を見失ってしまうことがあります。
社会情勢が不安定であったり、経済的な理由で希望を忘れてしまうことがあるかと思われます。
または、都市部においては、本気なって何かを成し遂げることが体験しづらい生活環境になっていることも原因のひとつではないかと分析しています。

ラモス瑠偉の思いである、「子どもたちが希望をもって生きること」「本気になって夢にチャレンジすること」を伝えようと努力するスタッフです。

ラモス瑠偉の思いを具現化するラモスプロジェクト。
そのひとつである「子どもたちの夢を応援する」プログラムを名蹴会と連携して企画。
それが、カーコンビニ倶楽部LPCカップです。
それは、ただ単にチームの勝敗を競い合うだけでなく、カーコンビニ倶楽部 LPC カップで活躍したジュニア選手で結成する「Team Ramos U12」(ラモス瑠偉監督)で、スペインの強豪クラブと対戦する「夢応援プログラム」です。

このプログラムをサポートしてくださっているのが、特別協賛のカーコンビニ倶楽部をはじめとする協賛企業各社です。

カーコンビニ倶楽部LPCカップをとおして、子どもたちに、ラモス瑠偉のサッカー観を直接伝えることや、国際基準のサッカーを体験する機会を提供することで、夢の実現の手助けをしていきたいと考えています。

今年度は、叶いませんでしたが、「東北地方での予選会の開催」を望んでいるラモス瑠偉です。
来年は、運営団体の理解、協力を得ながら、ラモス瑠偉の思いの実現を目指します。
(ラモスプロジェクトディレクター 角田)

カーコンビニ倶楽部LPCカップ公式サイト

ラモス瑠偉のマネジメントについて

2013 年 5 月 6 日 月曜日

有限会社カリオカ・スポーツ・プロモーション(代表取締役 ラモス ファビアノラモス)が唯一のマネジメントカンパニーです。

一部、業務提携、業務委託をしているパートナープロダクションがございますので、今後、本ウェブサイトでご紹介をさせていただきます。
「ラモス瑠偉との業務提携」や「ラモス瑠偉のマネジメント」と紹介されているプロダクションがございますが、各種ご依頼は、当社に直接お問い合わせください。
IMGP1861-150x150[1]
ラモス瑠偉に関する各種依頼は
有限会社カリオカ・スポーツ・プロモーション
(所在地:東京都港区南青山)
ラモス瑠偉マネジメント担当


カリオカ・スポーツ・プロモーションでは、ラモス瑠偉のマネジメント以外にも、これまでのラモス瑠偉のマネジメント実績を活かし、企業、団体にスポーツが持つ有益な効果を活用した活動をご提案いたします。

祝 Jリーグ20th

2013 年 5 月 4 日 土曜日

1993年5月15日
日本プロサッカーリーグ開幕

サッカーに情熱をささげてきた男たちの夢が叶った日です。
日本プロサッカーリーグが誕生する前には、日本サッカーリーグがトップリーグでした。
釜本邦茂さん、ラモス瑠偉(当時の登録名:ラモス ソブリーニョ)が、日本サッカーリーグの象徴的な存在であったと日本サッカーリーグ全史という記念誌で紹介されています。

日本サッカーの歴史を知るメディアの方からJリーグの20周年を特集する番組へのラモス瑠偉への出演のご依頼をいただいています。
FJ310114
(NHKサッカーアーカイブス 5/5OA 山本浩さん)

みなさまからラモス瑠偉のサッカー史は、現在の日本サッカーの歴史、そのものというお話をいただき、ラモス瑠偉の偉大さを感じるスタッフです。

memo ラモス瑠偉は話します。
「私の活躍は、、私の前に血を流し、汗をかいてくれた人たちのおかげ。その人たちへの感謝の気持ちは何があっても忘れてはいけない。」

サッカーがメジャースポーツになり、サッカーは単なるスポーツというだけではない役割を担う時代になりました。ラモス瑠偉は、「サッカーにリスペクト」をすることを私たちスタッフに伝えます。

それは、サッカーの発展に貢献すること。
サッカーに誠意をもって接することです。

Jリーグ20thをお祝いすると同時に、次の10年にしっかりつなげていく。
ラモス瑠偉は、Jリーグ百年構想の元年から20年間、携わってきました。
選手として、コーチとして、監督として、取締役として。

Jleague
100周年を迎える人たちに、誇れる30thを「サッカーファミリー」で作っていきましょう。
私たちスタッフも、ラモス瑠偉をリーダーとしてサッカーファミリーの一員として取り組みます。